石橋
石橋の町、山都町
山都町には全国的にも有名な石橋の通潤橋があります。通潤橋がある矢部地区だけでなく、わたしたちの中島地区にも、現在でも多くの石橋が残されています。ここでは昨年度、5・6年生の子どもたちが、地域の学習として調べたいくつかの石橋を紹介します。
1 金内橋
九州自動車道を中島インターで降り、旧中島東部校小学校の校舎がある国道445線沿いに、金内橋はあります。この金内橋は今でも地域で使われている橋の一つです。造られたのは今から170年前の1850年(嘉永3年)。長さ31m、高さ7.4m、幅は5.5mの石橋です。
この石橋を造ったのは、3年後、通潤橋造りに携わっていく肥後の石工の丈八(後の橋本勘五郎)とその兄弟でした。現在、金内橋はコンクリートで上部は補強されてはいますが、橋の上を今でも車で通行できることから、150年以上前の石橋造りの技術がいかに優れたものだったかがわかります。
さらに驚かされるのが、この石橋は大小2つのアーチからなる、珍しい形の石橋だということです。大きなアーチは御船川にかけられていますが、小さなアーチは川に平行して造られている井手(用水路)の上にかかっています。橋の北側には、田畑への水を引くために取水口があり、この井出を使い、江戸時代からすでに地域に農業用水を確保する事業が進められていたことがうかがえます。
この井手は福良井手(ふくらいで)という用水で、16キロも離れた島木地区の田畑へ現在でも水を運んでいます。この用水の整備を進めたのは、当時の矢部の惣庄屋、布田保之助でした。通潤橋の工事をする以前から、矢部地区の水不足の問題を解決するために、様々な地域の土木工事に取り組もうと努力していたことが分かります。
(雪景色の金内橋)
(春の金内橋)
春になるとこの金内橋の脇にある公園では、サクラやパンジーなどが一斉に花を咲かせ、子どもたちや地域の人々の心をなごませるホットスポットになっています。
2 立野橋
3 滑川橋
4 山中橋
5 鹿生野橋(かしょのばし)
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