(1)位置
○ 昭和29年の町村合併により、玉名市となり玉名市立石貫小学校と改称する。
○ 玉名市の北方に位置している。
○ 平成17年10月に近隣3町と合併し、新しい「玉名市」となった。
○ 校区のほぼ中央部を繁根木川(錦川)が流れ、川に沿って県道が走りっている。学校前
の県道は玉名市と南関町を結ぶ主要道路、平成4年開通の広域農道は和水町・玉東
町方面への主要道路となっている。
また、校区西部には九州看護福祉大学が平成10年に開校し、校区南部には国道
208号線玉名バイパスも開通した。九州整備新幹線が平成23年に全線開業した。
○ 校区は次の六つの区からなっている。
1区:茶屋、栗山、島小森、小畑、松本 4区:山口、大平寺、安世寺、柳野
2区:柴尾、小屋敷、中島、畑部 5区:虎取、吐合
3区:馬場上、馬場下 富尾区:富尾北、富尾南
(2)史 跡
本校区には、全国的に有名な文化財や史跡が数多く点在している。
○ ナギノ横穴墓群
錦川上流、虎取橋西方50メートルから更に北へ20メートルの位置に、大小45個の横
穴墓が開口している。おおよそ1400年前の豪族一門の墳墓といわれている。
○ 石貫穴観音横穴墓群
熊野宮跡の反対側に、下から数十メートルもある高い断崖に西南に面して5基の横穴
墓がある。中でも中央のものが一番大きく奥壁に千手観音立像が彫られていることか
ら穴観音といわれ、古墳期より仏教文化期へと推移する頃に造営された古墳である
と考えられている。
○ 広福寺
曹洞宗に属し、吉野朝の後村上天皇の天平12年、菊池氏によって建立され、天平
19年に焼失、その後再建された。本寺の古文書は昭和41年に国の重要文化財に指
定された。
○ その他に、ハル古墳、下田古墳、ハゲノ谷古墳、北田口古墳、古城古墳などがある。
校区一帯が古代文化が栄えた地域であったことは容易に推測でき、これらの文化財
や史跡を生かして地域を活性化しようとする校区住民の意気は高い。
(3)産 業
繁根木川(錦川)の西側に農耕地が広がっており、稲作が中心である。兼業農家の割
合が増え、農業の高齢化が進んでいる。
(4)教 育
○ 現在の校舎は、校区民の熱意と県・市当局の尽力により、昭和63年3月に落成。
その後、年次計画に基づく施設設備の充実を進め、現在に至っている。
○ 教育に対する地域住民の関心は高く、PTAや各種団体もたいへん協力的である。
毎年、学校教育活動の様々な場面で多くの地域人材の支援を頂いている。
○ 平成6年度に勤労生産学習推進校として文部省の指定を受け、校区をあげて実践に
取り組み、平成7年11月に研究発表会を実施。その後も一部実践を継続している。
○ 国道208号線バイパス、たまきな大橋開通による広域農道の整備等によって校区
内の交通量は年々増加し、児童の登下校時の危険性が高くなった。そこで、PTAに
よる年間を通じた朝の交通指導の実施、職員による通学路安全点検、「子ども110
番の家」の設置、防犯灯設置、さらに平成23年度から発足させた地域住民による「児
童見回り活動ボランティア」の拡充を図り、学校・地域・保護者が連携して児童の安全
確保及び事故防止に力を入れている。
○ 平成20年度から2年間、「生きる力」を育む研究指定校として県の指定を受け、
平成22年11月18日、伝統文化・国際教育研究推進校研究発表会を行った。
旧石貫小学校々歌
永松朋吉 作詞
不二夫 作曲
一 かすみたなびく小岱山
仰ぐ希望の峰高く
紅葉色そう錦川
染むる心の水清し
二 青嵐渡る 広福寺
誠忠菊池の名を伝え
わだちに雲を散らしけん
尚玄さまの孝行車
三 日出る国のみたみわれ
名も石貫の健児なり
清き心をみがきつつ
君と親とにつくさなん