玉名市立梅林小学校
                             
校訓:正しく 強く 温かく      

131年間ありがとうございました。
 

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登録機関

管理責任者 校長 若杉幸生
運用担当者 教頭 馬場千秋
 

カウンタ

32746

学校の沿革

学級数と児童数
  各学年、単式学級で6クラス、児童64名の小規模校である。
沿革概要
1 位置
  本校区は玉名市の東部にあり、東は木葉山、西は菊池川、南は八嘉台地、北は小田平野に接している。旧梅林村は古代、山北郷に属していたが、近世に入って内田手永に入り安楽寺村と称していた。その後、下村・津留村が分かれ、明治22年の市町村制実施により3村合併後、梅林村となった。更に昭和29年、玉名町外11町村が合併し玉名市となった。

2 産業と交通
  本校区は、古来、菊池川の遊水地帯として水害に悩まされてきたが、湛水防除施設の整備に より著しく改善され、世帯数559世帯(H26.4.30)の純農村地帯である。従来、米・麦・繭の生産によって生計を維持してきたが、養蚕は皆無となり、現在は米麦の二毛作が中心となっている。かつては下村に製薬業、安楽寺に石灰製造業などもあったが、現在は、生コンクリートや石灰工業所等の企業がある。地元に残るよりも校区外への通勤者が多い。また、兼業農家が大部分を占めてることも特徴である。校区の道路は国道208号線のバイパス・県道玉東瀬川線・市道田中橋玉名橋線の3本が通り、交通量が多く交通事故の発生が懸念される。また、新幹線開通に伴い交通量が増加したのも課題の一つである。

3 文化と歴史
  校区の氏神、梅林天満宮は承平6年(936年
太宰府天満宮の第一分霊社として奉られたもので、太宰府とのかかわりは深い。戦国時代、島・龍造寺の戦場となった下村城は山城跡の高台と高城・城下の部落名に往時を偲ぶほかない。また、近くは西南の役、高瀬の戦いの折り官薩両軍激突の舞台ともなった。校区の生んだ人材には、幕末、肥後勤皇の先駆者と言われる松村大成、永鳥三平兄弟、大正より昭和にかけて活躍した政治家・国務大臣の大麻唯男がいる。前者は唐平の児童公園に顕彰碑が建立されている。後者は生見西橋の袂に生誕の地碑が建てられている。

4 教育への関心度
  本校区の保護者・地域住民には素朴・善良・
勤勉等の徳性がまだ残っている。教育についての関心は高く、学校教育には極めて協力的である。また、平成10年、学校、地域・保護者との連携の橋渡し役として「梅林小教育を応援する会」が発足し、現在に至る。体験学習での地域人材の活用の助言等があり、児童との橋渡しをしていただいている。また、平成22・23年度に基礎学力向上システム推進事業の県指定を受け、現在も引き続き低学年児童の学習支援にも協力をいただいている。平成23年度から玉名市内に中高一貫校が開校し、それに向けた関心も高まってきている。
 平成27年度は、県教育委員会から体力向上優良校として表彰される。
  平成30年度に玉陵中校区6小学校が統合し、玉陵小となる。本年度、統合へ向けて地域の方の協力により「梅林小学校閉校事業実行委員会」を中心として進めている。
介します。

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