◎校区の概要
藩政時代は細川家に属し、明治22年永尾、松合、大見の3村が合併し松合村となり、大正5年5月、町制を実施し松合町となった。
その後、昭和31年9月30日町村合併推進法により、不知火村と合併し、宇土郡不知火町となった。そして、平成の合併推進法により、
下益城郡の3町と宇土郡の2町が合併し、平成17年1月15日に宇城市が誕生した。
本校区は、東は宇城市立不知火小学校区、西は宇城市立青海小学校区、北は宇土市立網津小学校区と接し、宇土半島の脊梁山地を
北側に、南は逐次傾斜して起伏に富み不知火海に面している。北高南低の傾斜地には柑橘等の果樹が多く栽培され、大見、救の浦、永
尾の各地区の平坦地には、わずかに水田が開けている。
数年来続く過疎現象は、本校区にも顕著に現れ、戸数の減少と共に年々児童数が激減し、平成22年度から複式学級が開設され、今後
も継続する見通しである。
三角・松橋間のいわゆる宇土半島南岸道路は、昭和60年に整備され、天草方面への観光ルートとしても車の往来は、ますます激しくなっ
てきている。
平成7年12月には、「松合白壁土蔵のビジターセンター」「松合白壁土蔵資料館」がオープンし、松合地区の歴史を紹介している。
また、永尾地区には、平成8年4月に「不知火町温泉センター道の駅」がオープンし、人々の憩いの場として賑わいを見せている。
松合地区では、「松合白壁土蔵サミット」や「まっちゃ朝市」(毎月第3日曜日)が開催されており、地域の人々の松合を活性化する思いが感
じられる。
不知火海に現れる「不知火」は、大変有名で、その現象が起きる八朔(旧暦8月1日)には、お祭りと共に「不知火」の観測が行われ、県内外から観光客で賑わいをみせている。 平成11年には、猛烈な台風18号の高潮によって多大な人的・物的被害を被り、校区内の海岸線は、高潮等を防ぐ補修工事が行われた。
【松合小学校校区地図(危険箇所図)】
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