〇校区の概況
(1)位置・地勢
本校区は、山鹿市菊鹿町の南東部にあり、北に内田・六郷校
区、南に菊池市七城町、東に菊池市、西は山鹿市鹿本町と接し、
八方ケ岳(1051m)山麓から菊池平野にわたる中間に位置してい
る。東西4.0km、南北8.5km、面積13.1k㎡あり、校区の西側を流
れる木野川、中央部を流れる初田川に沿って山林や田畑が広がっ
ている。全般に平地が少なく標高70m~150mの間に耕地があり、
山林・原野が広く、水田・畑と地形も多岐にわたっている。
(2)自然、文化・歴史
本校区は、緑豊かで自然環境にたいへん恵まれ、古くから豊か
な自然や土地を生かした産業や文化が営まれている。
校区内の米原地区には、いにしえの温もりが伝わる鞠智城(今
から1300年前の律令国家時代に実在した城)跡がある。鞠智
城は今から約1300年前に、大和朝廷が築いた山城で、全国で
も珍しい八角形の鼓楼が特徴である。現在国指定史跡になってお
り、国営公園を目指している。そして、平成20年10月23日
に城跡より国内初となる青銅製の菩薩像が出土している。また、
歴史公園鞠智城の敷地内には、出土品の展示、ビデオ上映される
「温故創生館」、地元の物産品やレストランのある「長者館」なども
ある。現在、公園を訪れる人に古代山城の歴史ロマンを語りかけ
ている。
また、学校のすぐそばには、400年の歴史を誇る合瀬川温泉
がある。さらに、昭和初期の文学界で独自の光芒を放ち、創作一
筋の生涯を全うした作家の平川虎臣氏は、校区内の黒蛭地区の出
身である。
本校区は、昭和30年4月行政区画変更により菊池郡から鹿本
郡に編入し、菊鹿村となり、昭和40年10月町制施行により菊
鹿町となる。さらに、平成17年1月15日に1市4町の合併に
より、山鹿市菊鹿町となり、平成18年度に創立100周年を迎
えた。なお、本校は平成27年度末(本年度末)に閉校となる。
〇本校の沿革 《 学校の沿革.pdf 》